コロナがもたらしたテレワークの功罪
コロナによって、図らずも色々なことが従来とは異なる対応を求められることとなった。
テレワークもそのうちの1つ。
インドではWFH(Work From Home)と言うようです。
PtoCの仕事は、開業時からテレワークというやり方が主でした。
創業時のスタイルがオフショア設計だったから、必然とそうならざるを得なかったのです。
だから、そのスタイルで事業をするにはどんな環境を準備して、何に気をつける必要があるのかを、身の丈にあった方法をずっと考えながら、今もやっています。
世の中で、テレワークが始まると、特に管理職から、部下が何をやっているのか見えない、web会議でも微妙な雰囲気がつかめず浮いてしまう、しまいには管理職不要論まで出る始末です。
なぜ、こんなことになってしまうのでしょうか。
過去の延長で仕事をしていると、そもそもなぜそんな仕組みや考え方になったのかを考えなくなります。
つまり惰性で仕事が進んでいくことになります。
コロナは、惰性だったものに「そもそも論」を突きつけたのです。
そもそも「時給」って何?
サラリーマン時代に、よく自分の時間単価を意識するように言われました。
例えば年収がが400万円の人の時間単価は、180時間/月の労働時間なら、4,000,000÷12÷180≒1,850円/時 でしょうか。
給料を貰う側から見ればそうかも知れません。
諸説ありますが、会社負担の社会保険料や会社の維持に必要な費用の按分などを考慮すると年収の倍が、その人1人の雇用を維持するための費用と言われています。
つまり180時間/月の労働時間で年収400万円なら、4,000,000×2÷12÷180≒3,700円/時 ということになります。
給料を払う側から見れば、これがその人の時給単価です。
でもこの180時間は、拘束されている見かけの仕事時間で、本当に仕事をしている時間では有りません。雑談したり、トイレに行ったり、他のことを考えているかもしれません。
正味の仕事をしているのが仮に7割程度だとすれば、3,700÷0.7≒5,300円/時が時間当たりの原価です。
更に会社であれば利益確保も必要となります。
時間換算で、お客様に売る側から見れば、6,000円/時とか7,000円/時とかいう数字になるわけです。
買う側から見れば、雑談の時間にお金を払おうという人はいませんから、なるほど妥当だねとなるはずですが、現実にはそうはいきません。
買う側は正味時間で考え、見かけ時間単価で払おうとするからです。
でもこれって、納得感薄いですよね。
仕事(アウトプット)に対する正当な対価
非常に難しい問題です。
でも需給バランスで価格が決まるというルールに基づけば、簡単です。
売る人と買いたい人が、話し合って合意できる金額が正当な対価のはずです。
日本では、もう日常生活で価格交渉をする場面は殆どありません。
でも私が駐在していた頃のインドでは、露天で物を買ったり、タクシーに乗るときなどいつも値段交渉でした。
納得感が有れば買うし、なければ他を当たるのが当たり前でした。
外国人ということも有ったと思いますが、結構ストレス有りました。
この煩わしさから開放されるために、価格の標準化が進み相場観が生まれてきます。
目に見える見かけの仕事時間(拘束時間)でそれまでの経験から、必要となりそうな時間を見積もって計算するようになるんです。
前述のテレワークの件では、この「目に見える」という根拠のない安心感が「見えない」という不安感に変わったために引き起こされたんだと思います。
PtoCは、正味時間をできるだけ正確に見積もって、それに基づいた時間単価でお客様の合意を得たいと考えています。
時間単価が安いが時間がかかる人と、時間単価は高いが短い時間で済む人で総額が同じなら、どちらを選ぶでしょうか。
総じて能力の高い人のほうが質も高いし、短時間で済めばお客様も時間の節約ができるので、金額以上のメリットがあると思います。
買う側も売る側も妥当性を正しく見極める力がないと、前に進まない話なのが悩みの種です。